日経新聞電子版を読んでいたら、自己主張が足りない日本人選手という記事が掲載されていた。正論であり反論の余地すら残されていない意見だとは思うものの、ここ日本では自己主張の強い人間はスポーツ界のみならず一般社会でも敬遠される風潮が強い。付和雷同、暗黙の了解などを良しとする日本人ならではの社会気質からはみ出してしまうと途端に異端児扱いになってしまうのだ。
その端的な事例が朝青龍。規制社会というよりも閉鎖社会と呼んでもいいかと思うが、その角界で様々な言動が物議を醸し出し、2010年2月4日に現役引退を表明。まだ30歳であったことを考えるとあと2,3年は現役生活を送れたはずだ。個人的には近年まれに見るキャラクターで面白かったのだが、この朝青龍の素行すら包容出来なかった日本人社会の潔癖さは痛し痒しに思うことがしばしばある。
●2008年01月27日 両国国技館での朝青龍を動画撮影
その溢れんばかりの才能が有りながら、結局のところ大舞台で発揮することなく消えていったサッカー選手は数多くいる。最近ですぐ思い出すのはブラジルのエジムンド。もう少し真面目にやっていれば1998年のフランスワールドカップ決勝戦で活躍、その名を永久にとどろかすことも出来たのにと考えるのは私だけではあるまい。
そのエジムンド、付いたニックネームがなんと『アニマル』。要するに人間社会の規範を彼に求めるのは無理、動物なんだから、ということでアニマル・エジムンドの名前は現役時代から広く知れ渡り、その『蛮行・武勇伝』を挙げれば枚挙にいとまがない。さらにはちょっと遡るだけでもポール・ガスコイン、エリック・カントナなどその優れたサッカーセンスとは別の分野での『溢れんばかりの才能』を遺憾なく発揮した選手も数多くいる。
で、それに比べれば朝青龍なんて可愛いもの。彼の起こした騒動は欧州南米サッカー基準に照らし合わせると別に驚くほどのものでもないが、規律正しさをスポーツ選手に求める日本人の一般的な感覚からすると、ちょっと外れているのかもしれない。
でも世の中には前述のように朝青龍程度では比較にならない『大物』が数多く存在するのだ。例えは悪いがどこに飛んでいくのか分からないタコの糸をうまく操る度量のある親方が居れば、朝青龍も少しはおとなしくなるのかもしれない。 |
自己主張の強い人間は多くの場合が規格外の人間だ。ブラジル及びアルゼンチン代表から思い付くままに挙げてみると、マラドーナ、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、みんな一癖二癖ある人間ばかり。こうしてみると品行方正なメッシは別な意味で驚きだが、個人的には早く日本からも規格外の人間が登場して欲しいのだ。優等生サッカー選手を11人揃えたチームよりは、バロテッリのような外れたと言ったら失礼かもしれないが、規格外の人間が1人居るチームの方が見ていて遙かに楽しい。
●2010年05月10日 南アフリカワールドカップ決勝戦会場・FNBスタジアム
まして南アフリカのヨハネスブルグは"リアル北斗の拳"とも揶揄されるような、世界で一番危険な都市との風評もちらほら聞こえてくる。そんな土地柄にサッカーという戦争をしにいくわけだから、こちらも外れた人間を用意しなくては勝てないだろう。朝青龍程度の素行問題で大騒ぎしている日本人にとってはなにをいわんやと言ったところかもしれないが、世界で勝つということはそういうことなのだ。現在の日本代表程度で百点満点の優等生が11人揃ったとしてもワールドカップで勝つことは無理。三戦全敗を喰らわないためにも、肉を切らせて骨を断つ駆け引きに長けた規格外の、外れた人間を一人連れて行ってほしいと思う。 |
●欧州組、チームの「幹」になるのに足りぬエゴ
2012/11/27 7:00
■日本人選手の適応力は評価しつつも
真ん中の選手はCFだけでなく、トップ下にしても、ボランチにしても、CBにしても自分で判断してプレーしないと務まらない。役割をこなすだけではなく、自分で試合をオーガナイズする必要がある。
残念ながら、日本の選手にはそこまで力がないと思われているのかもしれない。欧州のクラブの監督は日本人選手の適応力を評価しつつも、オーガナイズの部分に関しては不満を持っているのかもしれない。
だから、みなサイドのポジションに追いやられているのではないか。簡単に言うと、「エゴ」が足りないのだろう。ピッチの中で、自分のやりたいことを押し通せてはいない。
■「守備はしませんよ」といったようなアタッカーも
ブラジル人やアルゼンチン人に限らず、欧州のリーグには「私は守備はしませんよ」といったようなアタッカーがたくさんいる。自分の得意なことだけをするというスタンスだ。
その代わり、得意分野に関しては絶対的な力を発揮する。そうやって周囲に力を認めさせてしまう。だから自然に誰もその選手に「守備をちゃんとやれ」とは言わなくなる。
日本人はまじめなので、「守備をしろ」と言われればきちんとこなす。周りに「ああだ、こうだ」と言われると、すべてを受け入れて、そのとおりに動く。
忠実さや適応能力は評価されるが、そうしているうちに自分のいいところを出せなくなってしまっているのではないか。周りの要求をのんで、余計なことまでしてしまって、個性が出せなくなっているような気がする。
■メッセージを体で発信する力
欧州では、いい若手が次から次へと出てくる。枝葉の部分の選手はすぐに取り換えられてしまう。そうならず、欧州で生き残りたいのであれば、幹の部分の選手になる必要がある。
ドイツ代表でも活躍している22歳のクロース(バイエルンミュンヘン)などを見ていると、そういう存在になるには年齢は関係ないと感じる。のし上がってくる選手には「オレはこのポジションでやる」というメッセージを体で発信する力がある。
チームの真ん中に君臨する選手はみなそうだ。好き勝手にやっているが、「この選手は外せない」と周囲に認めさせてしまう力がある。そういうものがないと、そこそこのチームの枝葉で終わってしまう。それでは日本代表のレベルが上がらない。
■「学ぶ」という姿勢が強すぎる
Jリーグでも最近、選手の個性が薄れていると言われている。確かに、どの選手もみな同じに見えてしまう。どうして日本の選手はそんなふうになってしまったのかの原因を探っていくと、選手育成の問題に行き着くような気がする。
指導者が若い選手に教えすぎる。選手には「学ぶ」という姿勢が強すぎる。そうやっているうちに「オレはオレなんだ」という自己主張が弱くなっているのではないか。ある一定の年齢までは、好き勝手にプレーさせたほうがいいのかもしれない。 |