EURO2012決勝戦・スペイン対イタリアと今後の展望
- 2012.07.07
Wikipediaで『矛盾』の意味を調べると以下のように記述されている。
『韓非子』の一篇「難」に基づく故事成語。「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から。もし矛が盾を突き通すならば、「どんな矛も防ぐ盾」は誤り。もし突き通せなければ「どんな盾も突き通す矛」は誤り。したがって、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わない。
EURO2012決勝戦のスペイン対イタリアを見ていたら、スペインは矛、イタリアは盾と感じたのだが、時折それが入れ替わるのが面白く、前半30分ぐらいまでは実力伯仲の互角の展開だった。結果は4対0でスペイン圧勝のように見受けられるが、個人的に感じたのは改めてイタリアの日程の厳しさと運のなさ。中3日でドイツ戦、そして中2日でスペイン戦。過去中2日決勝戦で勝利した事例もあるようだが、さすがに後半は息切れしており、モチベーションだけではEUROのような難攻不落の登山を登り切ることは難しいのだ。
「彼らの方がフィジカル面でよりフレッシュだったのは、最初からすぐに分かったはずだ。我々はこれまでにかなりのエネルギーを消費し、回復する時間がなかった。この一週間はかなりのものだったよ。ときに抑えなければいけなかったことが分かったね」
優勝を目的として乗り込む国は決勝戦に照準を合わせて体調管理を行い、自己のパフォーマンスをベストに持ってくるべきなのだが、いかんせん言うは易く行うは難しの典型的な事例で、その点だけがイタリアにとっては悔やまれるべきことか。「ときに抑えなければいけなかったことが分かったね」という言葉が何を指し示すのかは分かりにくいが、素直に捉えれば試合や練習への取り組みには起伏をつけなければならない、もう少し抜けるときには抜いた方が良いということになるのだろう。
失点後しばらくして得点出来るチェンスがあったが、カシージャスが指先1本で触れたボールはほんのわずかに軌道変更を行い、勇猛果敢に飛び込んでいったデロッシの頭のわずか先をかすめて得点ならず。振り返ってみるとこれが試合の分岐点だった。カシージャスが触ることが出来なければ間違いなくデロッシの同点ヘッド。触った時点でイタリア不運を感じたが、続々と続く負傷故障退場者を見ているとこの日だけはイタリアの日ではなかったのだ。
が、EURO2012で一番感じたのはイタリアの変貌とバロテッリの成長だ。2011年01月23日に『ユニークなマリオ・バロテッリ』という日記を投稿しているが、このまま順調に行けば世界を代表するフォワードになる可能性を秘めた逸材だけに今後が楽しみでならない。EURO2012での3得点の質はいずれも高く、全世界にバロテッリの名前を知らしめたが、凡プレーも多く改善の余地は多々あるのだ。が、2014年ブラジル大会におけるイタリア浮沈の鍵はバロテッリにあるといってもよく、新生イタリアを確認するためにワールドカップ欧州予選を見るのも面白いかもしれない。
それにしてもスペインは圧巻だった。攻守の要、ビジャとプジョルを欠きながらの優勝は拍手喝采もの。プジョルが出場していればアルベロアOUT、ラモス右サイドバックINとなるわけだから、より攻撃的なチームを見ることが出来たわけだが、その不在を感じさせなかったデルボスケ監督の采配はお見事の一言だ。トーレスやジョレンテを使うべきという意見もあるのは分かるが、ビジャ不在時のベストバランスは近年ていたらくパフォーマンスを続けるトーレスではなくて、バルセロナ0トップ。セスクもアーセナル時代にトップの位置に入ることがあったように記憶しているが、シャビ・イニエスタ・アルバ・ペドロ・ブスケツ・ピケとバルセロナ同胞との球回しは、ため息が出るほどに美しく、簡単に見えることが逆にその難易度の高さを表している。
ワンタッチ、ツータッチで小気味よくパス交換を行いながら、自らのリズムに相手を引きずり込み、空間全体をバルセロナエリアにした瞬間に、まさに針の穴を通す、いや喉元に匕首を突きつけるようなパスを出すのだからたまらない。まさに水星周期で出現するチームだと思うが、2年後にシャビは34歳。今大会は好不調の波を繰り返しただけに、これから徐々にパフォーマンスが低下してしまうのかもしれないが、出すぞ、出すぞと思わせながら、ギリギリまで引きつけてオフサイドになる瞬間にアルバにパスを渡した2点目を見ていると、相も変わらず健在ぶりを示している。
サッカーの醍醐味を改めて感じさせてくれたスペイン、バルセロナには感謝したいが、果たしてどこがこのチームを止めるのだろう。現時点ではブラジル・アルゼンチンを加えたとしても、スペインが一頭地抜けているだけに2014年ワールドカップが楽しみになってきた。